てんかんになるまで③〜放射線治療からてんかん発症〜
てんかんになるまで〜その②〜からの続き物です。長々と書いてきたので今回で終わらせますね(^_^;)
その①はこちら↓
その②はこちら↓
手術後、リハビリをして1ヶ月程度で日常生活が出来るぐらいまで回復しました。手術をした病院には放射線治療の設備が無かったので、他の病院へ転院する事になりました。まだ病理検査の結果は出ていなかったんですが、まぁ間違いなく悪性だろうと言われてたので、先生もそのつもりで進めてたんでしょうねε-(´∀`; )
転院後は頭を固定する為の型を作ったり、もちろんリハビリもしたり。そんなこんなしてる内に、放射線治療が始まりました。
「人より多い量を照射するので、ご飯が食べれなくなったり、麻痺がひどくなったりするかもしれない」
と言われていましたが、ラッキーな事に副作用はほとんどありませんでした。むしろ、途中から通院で治療できるぐらいピンピンしてました。
あ、もちろん髪の毛は抜けましたよ。せっかく前の病院の先生が髪の毛を残して手術してくれたのに(T_T)
でも抜けてしまったら不思議な事に諦めがついて、また生えてくるし!と思えるようになりました。
放射線治療を前提に術前の説明を受けていたので、いずれ抜ける事が分かっているはずなのに、短い期間でも髪の毛を残してくれた先生には本当に感謝しています。ちゃんと私の気持ちまで考えてくれてたんかなぁと。手術の時に刈られていたら、こんな素直に受け入れられなかったかなーと思います。
素敵な先生に出会えて良かった。
そして放射線治療中に、病理検査の結果を聞きました。
病名は
悪性髄膜腫
当時聞いた話によると髄膜腫は大体が良性らしく、通常は頭蓋骨の髄膜の辺りに出来るらしいのですが、私のものは脳の内部の髄膜に出来ていてしかも悪性。レアケースだと言われました。へえ~といつものように軽く思っていたら、またまたラッキーなお知らせ!
なんと放射線治療だけで抗がん剤治療はしなくていいとのこと。抗がん剤をするなら、1年近く入院しなければいけないと言われてたので、心の中ではガッツポーズでした♪♪
放射線治療が終わり、その後は定期的な通院をしながら発作が起きないように薬を服用していました。無事に就職も出来て、普通の生活を再スタートすることになりました。当たり前の事を出来ることがめちゃめちゃ嬉しかったです。
ただリハビリをしても、右手は完全にもとに戻りませんでした。今だに指先を上手く動かす事が出来ません。元々右利きだったので、字を書くことも箸を持つことも出来なくなりました。(その後独自にリハビリを続け、字は書けるようになりました)
他にも右半身の感覚が無くなりました。当時に比べたら多少分かるようになりましたが、かなり鈍いです。(この前も包丁かスライサーのどちらかで手を切っていた事に気付かず、目でみて気付きました…)
まぁ多少人よりできない事はありますが、仕事も家事炊事も出来て楽しく生活していました。その後発作も起きなかったので、妊娠出産を希望していることを主治医に伝え、5年過ぎた頃から薬の服用量を減らし、中止する事にしました。完全に中止してからも発作は起きませんでした。
ところが…
キャリアアップしたいと考えていた私は、転職をして新しい仕事を始めました。前職よりかなりハードでしたが、発作はなく半年が過ぎて、ようやく一通り仕事が出来るようになった矢先…
発作がおこりました。
右半身、力が入らなくて立つこともできない。視界も右側だけ、水の中で目を開けたようなぼやけた感じ。右側の感覚があまりないので痺れているんだろうなというぐらいしか分かりませんでしたが、その後何度も同じような発作があり、発作の事を主治医の先生に話して検査をしてもらうと、脳波でてんかんの波形がでてると言われました。
やっぱりあかんか〜(T_T)
なので薬の服用再開。ここから症候性てんかんとなりました。
長くなってしまいましたが、一言で言うと
脳の手術をして、しばらく経ってからてんかんになった
と言う事です。
周りにてんかんの人がいないので、これが変わってるのか普通なのかは分かりません。
私自身は薬をやめる事は出来なさそうなので、これから上手く付き合って行こうと思います。(ってかもうやめるの怖いっす〜)
長々と読んでいただきありがとうございます☺︎